向かって右側が初代、馬場喜信です。左側の帽子を被っている人物は兄弟子だと思われます。
裏面には「大正8年7月 喜信19歳」と記されています。
建造の歴史
1931年(昭和6年)初代・馬場喜信 馬場ブリキ店開業
今となっては、初代馬場喜信がいつ頃から、なぜ板金業に携わったかはわかりませんが、関東大震災が起こった大正12年には、関東に駆けつけ、板金の技術を生かし、震災復興の手伝いをしたと聞いております。
1946年(昭和21年)二代目・馬場喜郎 馬場ブリキ店にて板金工事に従事
昔は「ブリキ屋」という愛称で呼ばれ、金属板(ブリキ)をはさみで切り、叩いたり曲げたり、半田付けを施したりして、鍋ややかんの修理、お豆腐や茶壺、衣類の缶造りなどをする事が主な仕事でした。
1971年(昭和46年)合名会社馬場板金設立 代表社員に馬場喜郎が就任
時代と共に、缶造りをはじめとする加工や、修理などといった手仕事は、だんだんと姿を消して行きました。
金属板の品質の向上や、塗装技術の進歩などから住まいの屋根・外壁・雨といなどへの金属板(鋼板)の需要が格段と増え、主要な仕事へと移っていきました。
金属板の品質の向上や、塗装技術の進歩などから住まいの屋根・外壁・雨といなどへの金属板(鋼板)の需要が格段と増え、主要な仕事へと移っていきました。
さらに、高度経済成長による大量消費を受け、「板金」にとどまらず、屋根にはカラーベストなどの平板瓦、外壁には窯業系のサイディングや軽量コンクリート、また、塩ビ製の雨といなど、スピーディに製造・施工が可能な様々な建材が登場しました。
1995年(平成7年)合名会社馬場板金より、社名・組織変更
有限会社建造を設立 代表取締役に馬場喜郎が就任 三代目・松浦正行入社
三代目に当たる、娘婿の松浦正行の入社をきっかけに、合名会社馬場板金より、社名及び組織変更し有限会社建造を設立しました。
松浦は、塗装業を営む家に生まれ、大学卒業後は豊橋の青山建設(株)、横山 興業(株)に勤務し、その後「マツウラ営繕工事」を開業し、自ら現場で様々な工事に携わりました。
現在、エクステリアや外構工事、内装工事を手がけられるのも、この時代の経験があったからです。
1996年(平成8年)愛知県知事より馬場喜郎が優秀技能表彰を賜る
2005年(平成17年)馬場喜郎が厚生労働大臣より「現代の名工」に選ばれる
「現代の名工」に選ばれ たので、小泉純一郎内閣総理大臣より「桜を見る会」に招待頂きました。当時の武部幹事長とパチリ。
公共施設の屋根、神社仏閣の銅板加工などを長年手がけ、卓越した技能を持つとし、 「現代の名工」に選ばれました。
2005年(平成17年)有限会社建造 代表取締役に松浦正行が就任
2006年(平成18年)社屋を新城市川田に新築・移転
2011年~(平成23年~)愛知県板金工業組合常務理事就任
全国建築板金業者全国大会
全国建築板金競技大会
2015~17年(平成27~29年)東三板金工業組合組合長就任
「ものづくり教室」の講師
組合員レクリエーション・地引網
豊橋まつり参加
視察研修旅行
勉強会
新年会
2016年(平成28年)四代目・松浦剛(たけし) 有限会社建造に入社
大学卒業後、3年間の(株)ソーラー工業勤務を経て入社。
(株)ソーラー工業は、年間6,000 件の水廻りリフォームを施工する工事店です。
多様な現場を経験し、多くの技術や知識を学ばせて頂きました。
その経験を生かし、さらなる発展に貢献できるよう頑張ります。